313_ニューヨーク_ニューヨーク



 4枚共 2010年

 コロンビア大学のそば

 フラット・アイロン・ビルの反対側

 アヴェニュー・オブ・アメリカス

 2010年5月 ブルックリン








 6軒分の郵便受






































 1971年アリゾナ ジープの軽量車といえます。


























 道路清掃車




































































































粉雪のパーク・アヴェニュー。 パナム・ビルの向こうがグランド・セントラル・ターミナル。この下を複々線の線路が走っている。
  ニューヨークの道路で見かけるもの見かけないもの、二

 次は郵便ポスト。私が日本にいた頃の郵便ポストと言えば、赤く塗られた鋳鉄性で挿入口の上に小さな雨よけのひさしが付いた愛敬のある筒でした。
香港返却に伴い、郵便ポストを中国式に置き換えている、というテレビ・ニュースに同じ物が出て来ました。ベレー帽のような頭から、取り出し口、胴体のヒダの具合までそっくり。日本の郵便制度はイギリスを見習ったのです。赤い懐かしいポスト。何となくキャラクターがありました。最近は赤い只の箱。
アメリカの郵便ポストは青い色。上部がカマボコ形になっている鉄製ですが、一寸目立たない。
駅に置いて有ったゴミ箱にも似て、知らない日本人がゴミを投げ込んだという話も聞きました。
中心街では交差点一つおき位にあり、郵便を出すには大変便利。又、オフィス・ビルに入ればロビーのどこかに必ず郵便受けが有るので、憶えておくとこれも便利。上の階で郵便を出したい人は、非常階段かエレベーターの脇にある投函口に入れれば、郵便局員が一番下の郵便受けの箱から取って行きます。もっとも作りの悪いのは継ぎ目に葉書等がひっかかったりして、どうなるのかと気になりました。古いビルですと投函口以外はガラスになっているのもあり、非常階段から郵便物が落ちていくのが見えます。又、デザインに中々凝ったものもあり、バークレイ・ヴェッセイ・ビル、クライスラー・ビル、フィルム・センター・ビル等のアート・デコー時代の郵便箱は芸術品と言えるでしょう。

             
                                                                 フィルム・センター
通りの郵便ポストの横に、同じ形をした鉄製の箱が並んでいる事があります。但し色はくすんだ緑、というよりは軍服色とでもいった方が判りやすいでしょうか。これは投函用ではなく、配達職員の為にあるもの。トラックから郵便サックを移し、配達夫が後程鍵を開けて中から郵便物を出し配達するのです。覗き込んだ事もなく想像ですが、既に郵袋別に区分けしてあるのでしょう。配達員が道路上で郵便物をカード・ゲームのようにきるのは見た事がありませんので。
しかし郊外ではこのような具合にはいきません。私の住んでいる村で郵便ポストを探すのは大変。勿論、 郵便局の前には有ります。ここのポストの投函口は歩道側と車道側、両側に付いていますから、車からでも投函できます。もっとも、右側通行で運転席は左側ですから、シート・ベルトを外し、のりださないと投函口には届かない。雨の日等、車から降りなくてもよいのですから贅沢を言ってはいけませんが、面倒臭いものです。
自分が知っている限り、駅にはあり、ショッピング・センターにもう一つ。家の傍の角にも一つあったのですが、いつのまにか勝手に撤去されていました。後はどこにあるのでしょう。とにかく探しているよりは郵便局に行った方が早い。もっと田舎に行くと延々と運転する羽目になり、一寸した事でも矢張り車社会だな、と感じさせられます。只し、簡単な方法が一つあります。どういう事かというと、配達員に見えるように、自分の郵便入れに必要額の切手を貼った郵便物を挿んでおくのです。見えるようにさえしておけば、配達がなくても持って行ってくれます。田舎では、建物から道路が遠い事が多く、この場合は道路に胸の高さ位の柱を立て、カマボコ型鉄製の郵便受けを乗っけます。箱の横にはフラッグと言ってますが、赤く塗った逆L字形の細い板が付いています。これが横に倒れていれば郵便配達物は無し、立って箱より上に突き出ていれば有り、という事になります。これは出したい郵便物が有る場合も同じ。フラッグを立てておけば郵便局員が取って行きます。
私道の奥に家が何軒かある場合、私道に入る角に幾つもの郵便受けと同じような形をした新聞受けも並び、一寸した壮観です。何故、新聞受けが別にあるの?ですか。 それは、郵便受けには郵便物しか入れられない規則になっているからです。勝手にチラシ等投げ込んで行くと、郵便屋さんが全部取り出します。悪質な場合は追跡調査して罰金でもかけるのでしょう。
昔のアメリカ映画を見ているとポスタル・インスペクターを主人公にしたものがあります。シェーンのアラン・ラッドが主人公になったものが有名です。警察手帳バッジならぬ郵便調査官バッジを携行し、勿論、手錠、拳銃も背広の下に隠し持っています。
元々は郵便強盗の追跡とか、手紙を使った詐欺、猥褻物の郵便販売等の取り締まりをする為に郵政局の中に設けられたもので、警察と違うのは州を超えて動き回れるという事。FBIと同じです。というわけで、ポスタル・インスペクターを殺すと警官殺しと同じように扱われます。80年代、子供ポルノの郵便販売取り締まりで、時々TVのニュースに登場しましたが、こちらもインターネットに取って代わらたようで、出番はもう無いようです。
そういえばテレビや映画で時々見かける自転車の新聞少年、例の自転車をこぎながら、新聞を道路から投げ込んで行くというやつですが、あくまでも家が並んでいる郊外での話。
田舎では全て自動車配達です。上手な人は道路からポーチに投げ込むようですが、私が住んでいる辺りは坂が急なので、車で通りがかりにビニール袋に入った新聞を落としていく、てな感じです。。

自動車配達といえば、アメリカでも昔から右ハンドル車が造られているのはご存知ですか。日本向け輸出用車の事を言っているのではありませんし、工事用の特殊車輌の事でもない。ずーっと以前から一般道路で見られるです。
車の名前はジープといっても皆さんにお馴染みのジープとは違います。本来のジープはウイリー・オーヴァーランド社が大戦中に斥侯、連絡用に開発し、保守の簡単さ、その機動性を買われ、フォード社製も含め大量に作られたもの。私が書こうとしているのは、同社が大分前に、或る目的の為に新しくデザインした車の事。見た目には軍用ジープのイメージが何となく残っていますし、後部にジープの文字のスタンピングが。 ここで少々脱線。このオーヴァーランド社、戦後にカイザー社に買われたという記憶があるのですが、カイザー社、戦時中にした事が凄いんですね。車や飛行機の大量生産には驚かないのですが、船の大量生産をやってのけたのです。しかも造船の経験は丸で無し。政府からもっと生産量を上げられないだろうか、という要請を受け、船をセクション毎に大量に作り造船ドックでまとめて組み立てるというやり方を開発。新規の造船所はおろか、製鉄所迄建設してしまいました。これがカイザー・スティール社です。
1942年には最初の船が進水。要請から一年程の間です。この時の輸送船のデザインはリヴァティー・シップと呼ばれ、2700隻程建造されました。ドイツの潜水艦が幾ら撃沈してもお話にならない数字です。最初の造船所はカリフォルニア州、無人の土地に新しい町を一つ作り上げてしまいました。工員も今迄の先入観に囚われず、女性の溶接工を養成。徴兵により残された妻を吸収したのです。従来の造船所が一隻造るのに平均 59日かかっていたのを 30〜40日に短縮。同社の造船所間で目標10日のレースをやった所、なんと一隻4日と15時間という記録を達成。最盛期には確か 3, 4日で輸送船1隻がどこかの造船所で進水していた計算になる筈。
この車の入札時にも何千台の車を、このコストで納入期間内で作る、と公約して勝ち取ったのでしょう。尚、カイザー・ジープ社はその後、アメリカン・モータースの一部門になり、一風変わった会社同士として印象を残しましたが、結局はクライスラーに吸収され、ジープといえばクライスラー。と言っている内にクライスラーはベンツに合併され、ダイムラー・クライスラーになってしまいましたね。(現在はイタリアのフィアット社の一部 2013年

 何故アメリカで右ハンドルなのでしょうか。ここ迄で判かった人は大変に鋭い。そうです郵便配達するのに車から一々降りていたのではラチがあきません。かといってスタンダードの左ハンドルでは右側通行ですから、右側にある郵便受に届きません。この車は郵便配達用に作られたもの。これですと、座ったままで開けた窓から郵便物をほうりこめます。いかにもアメリカ的な考え方。車はミニ・ジープといった感じ。実用一点張りの味もそっけもない車で、エンジンも田舎道をのんびり走るだけですから、日本流に言えば軽のエンジン。60 マイル(96km/時)も出たら上等というところでしょうか。最近はあまり見ませんが、以前は配達に使われていた車の競売通知が郵便局に時々掲示されていました。この小さな車、落札価が 500ドル位だったのですが、車輌課で整備され、新しいペンキが塗られ(もっとも郵便のマークを消すのが最大理由)、新品タイヤに交換してあるので、結構人気があったようです。私も一時、深刻に買ってみようかと考えた事もありましたが、安全性とか冬の運転が心配なので止めました。
最近は、こちらで俗に言うデリバリー・バンで、右ハンドルにされたものを郵便局では使っているようです。UPSやフェデラル・エクスプレス等でも使っているようなバンで、ハンドルの位置以外は何の面白味もありません。

 ついでに車のハンドルについての話もう一つ。
ついでに車のハンドルについての話もう一つ。
ハンドルが両側の席に付いている車がありますが、これは何に使う車でしょうか。
教習所の車と言った人は外れ。 こちらでは、先ずどこの州に行っても法規のテストの後はすぐ実技。道路での練習です。
ブレーキが両側に付いていても、ハンドルまで両側に付いている練習車をまだ見た事はありません。
習うのは大体、親兄弟から。地区によっては高校在学中に開かれる免許取得クラスに参加するティーン・エージャーも多いようです。これを終了すると、同時に特別の安全講習を受けたという事になり、自動車保険の掛金が安くなります。
実技に自信のない人は、ドライビング・スクールに行って二,三時間インストラクターに最後の詰めをして貰います。ドライビング・スクールの両側ブレーキ車は初心者を教える為の緊急用とて考えて良いでしょう。
さて、この車ですが、ハンドルが片側だけに付いているものは、日本各地でも毎日のように見られるトラックです、と此処迄読んで分かった方は大変な勘の持ち主。そうですゴミの回収車と道路の清掃車。とは言っても、どこの市町村でも使っている訳ではなく、多分大都市だけの特殊なもので、民間業者も使ってはいないようです。
私がマンハッタンに住んでいた頃は、ゴミ・トラック、清掃車は全て左ハンドル車でした。
最近迄毎日マンハッタンに車で通っていたのですが、ゴミ・トラックを見るのは、まずその後ろで回収を行儀良く待っている時か、道路ですれ違う時。
私の車は小型車ですから、あの大きなトラック(日本の大型ダンプのサイズに当たるでしょう)が横に止ったとしても私の運転席が低すぎて、と言うよりは向こうの運転席が高すぎるのですが、とてもキャブの中迄は覗けません。 友人に言われる迄気付かず、私とした事がうっかりしていました。 
両側ハンドルになった理由は、勿論作業効率を良くする為。
暫く前に市が清掃員組合との労働交渉に応じた時に、組合の言い分も認めるが、その代わりに就業規則を大幅に改めるという事になりました。
それ迄は、運転手とゴミを扱う人が二人,計三人で巡回だったのが,仕事内容によっては二人一組。アパートが連なって、大量のゴミが出るマンハッタンは三人組みのようです。
他の区では作業の楽な横積みトラックを増やしていますが、私が何時も見るのは後積みトラック、例の町角のゴミカゴを空けていました。この場合も右側通行ですから、両側通行の道路は勿論、片側通行の道路でもゴミの処理は大変に楽になる理屈です。しかし、そのように使用されているのに、未だ出くわしていません。運転手のいないハンドルが一緒になって動いているのを見るのは奇妙な光景です。

道路の清掃車が両側ハンドルというのもうなずけますね。あの大きな回転ブラシで掃除しながら車道の端を掃除するのですから、両側に運転台があった方が歩道との境が良く見えるというもの。もっとも最近は一人乗りのもありまして、これは運転席が中央にあるだけ。少々小型の車ですが、前部が絞られている形状は、何となく昔のオート三輪を思い出してしまいます。
そういえば、三輪も走っています。公道を走っているのは警察のもの。交通整理やパーキング・メーター調べ等によく使われています。ゴルフ・カートの巾を一人用に小さくしたサイズで、車体が低く、昔のオート三輪よりは安定が良いようです。狭い所に入れるというので採用したのでしょう。スピードはまるで出ません。
ハンドルついでにもう一つ。前後にハンドルが付いているトラックもあります。向きは両方共前向き。日本でもあるかもしれませんね。ハシゴ消防車です。昔から高いビルが多いし、道路も東京や大阪等に比べて広いですから、ハシゴ車も大きく長い。それでも車の間を右に左に通り抜けて行かねばならず、トレーラー・トラックの様に大きなカーブを描きながら角を曲がる訳にもいきません。それで後部にも運転台が付いており、後ろの車輪の操縦をしているのです。高い所にちょこんと座ってハンドルを握っている様は一寸格好いい。乗っかっている消防職員が少々得意げに見えますが気のせいでしょうか。
この辺で車の話はひとまず止めにしておきましょう。


そう言えばアメリカでは、歩いていて時計をあまり見かけませんね。昔、フィフス・アヴェニューには、ビルの壁とか歩道上に、文字盤の付いた大きな時計が店の宣伝を兼ね、幾つか設置してありました。
保守が大変なのか、二つを除いてその形跡も見れません。その一つは有名なティファニーの店に付いているもの。しかし時計というよりは、店のシンボルとして見上げている方が多いようです。
もう一つは43 と44 の間にあるビルについていますが、気が付く人も少ないようです。歩道の上では、皮肉な事に、このビルの反対側に、太い柱の上に円形の大きな文字盤が付いて中々立派なものがあり、かなり遠くからでも見る事が出来ますが、動いていないのが残念です。
暫く前に42 ストリートの角に珍しく新しい時計がつきました。ニューヨクで歴史があり多分一番有名なタバコ屋さん、ナット・シャーマンの宣伝を兼た時計です。
元々この店は55 か56 ストリートにあったのですが、フィフス・アヴェニューの高級店舗化に押され、家賃の安い40番代に下がったのです。(2016年 現在は42 ストリートの5th とマディソンの間です)
タバコニスト、たばこ屋さんといってもシガレットを売っている店と勘違いしてはいけません。
勿論、シガレットもおいてありますが、主流はシガーにパイプ・タバコ。このたばこ屋さんでは、きれいな自家製のシガレットも売っています。そういえば、日本でも昔はタバコというと、キセルに詰めるものでしたね。
タバコという呼び名はもともとスペイン語。キセルというのも日本語らしくありませんね。鎖国の前にでも持ち込まれた物でしょう。
英語では、紙で巻いてあるのはシガレットとはっきり区別しなければなりません。日本流にいえば紙巻タバコ。シガレットのCIGARは葉巻タバコのシガー、ETTE は小さい,小さい物という意味があり、シガーのミニチュア版とでもいえるのでしょう。
ニューヨークで昔見かけたスーパー・レットの看板はスーパー・マーケットのミニチュア版という意味。
キッチネットとかラウンドレット等も、その類の呼び方でしょう。もっともイメージが悪いのか最近はそのいづれの呼び方も耳にしません。
最後に、女優の卵はスターレット。もっともスペルの方はSTARLETで、発音も使い方も違いますが、LETの意味はやはり小さな物。

又、時計の話に戻りましよう。そういえば、地下鉄の駅にもホームにも時計はありませんし、通勤電車のホームでも見かけません。もっとも地下鉄の駅に時刻表が貼ってある訳でもなく、公共交通機関を利用する時は時間を忘れて下さいとでも言われているようで、お急ぎの方にはお気の毒。 (2016年 駅にはLEDの表示板が設置され、時間と、どの程度で次が来るのか表示されるようになっていました)
ですから歩いていると、時々時間を聞かれます。何も東洋人に聞かなくても、と思うのですが。そう言えば方角とか何番のバスに乗ったら良いか等もよく聞かれますね。これは日本でいえば、田舎から出てきた人が外国人に日本語で聞いているようなもの,こちらが英語が理解できて、又、地理にも結構詳しいから返事のしようもありますが、少々神経を疑います。という訳なのかどうか知りませんが、ニューヨークの一般の人は私などより少々時間にルーズなようです。日本と比べ、バス、電車の時間もあてにならないし、郊外に出ると全て車。事故でもあると 2,30分はすぐ狂ってきます。広い国の事情というか、大陸的性格とでもいうのか。しかし、きちっと仕事をしている人は一概に時間に厳格。本人の心掛けもあるのでしょうし、そういう人達のセクレタリーとかアシスタントもしっかりしてるのでしょう。

公共交通機関の時間の話が出たついでにもう一つ。
バスとか地下鉄の走行間隔の事です。マンハッタンでバスを待ってみればすぐ分かりますが、自分の乗りたいバスが中々来ない。自分のバスだけでなく、とにかく来ません。これが来るとなったら、何台も連なってやって来るのです。このバスの群れの中に往々として同じ方向に行くバスが何台か入っている事があります。行き先を見極め、どのバスに乗るか素早く決めなければなりません。というのは、後ろの空いているバスに乗ろーかなあー、なんて、のそのそしていると、一人、二人の乗客を降ろすとさっさと出てしまう運転手がいるからです。群れの前の方のバスは大体混んでいます。前を走っているのだから、こちらの方が早いのか、と思うと大違い、後ろのバスがビッシリ詰まっているバスの間を急ハンドルを取り、乗用車達を尻目に割り込みをし、バス二台横に並んでレースなみの運転をやらかしたりします。大体バスの運転手は公共交通機関という事からか、他人の事を考えないで運転しているのが結構多いようです。まあ空いたバスが先に出ようとするのは、先の停留所で待っている乗客を座らせてやるんだ、という考え方でしょうけれども。
このバスの一群が去った後は惨め。次のバスが来る迄延々と待たなければなりません。真っ昼間20分も待つ事があります。(私の場合フィフス・アヴェニューのミッド・タウンからオフィス迄は4系統乗れるバスがあります。1系統しかないバスを20分待つというのならまだ我慢ができるのですが。
最近になって、やっとバスの時刻表がバス停に掲示されるようになりましたが、何処まで信頼できるのか。夜、20分間隔の時刻表を見たりすると、つい歩いてしまいます。マンハッタンはそんなに広くはないのです。
終点にはディスパッチャー(配車係り)がいて、出発時間の調節をしているのですが。どうしてこんな事になるのかまるっきり理解に苦しみます。(現在はかなり良くなっています)

私が住んでいる郊外でも一時そうでした。地下鉄のストライキがあった時、バスを2回、地下鉄を2回 乗り継いでマンハッタンに通ったのですが、行きは良いとしても(かなり頻繁に走っていましたので、あてずっぽうに家を出ても15分も待てばバスが来ました。) 帰りは地獄。7時過ぎにマンハッタンを出るのですが、地下鉄の走行間隔が7時を過ぎるとかなり長くなります。
勿論、時刻表はありません。やっと市の北端に着きバスを待つのですが、もうイケマセン。ダラダラとした列を作り、只来るのを待つだけ、その次の接続時間はもう想像外。
ホワイト・プレーンズ市の誰も居ないバス停で、何時来るかもしれないバスを待つのは、氷点下10度位の冬の夜、大変辛いものがありました。
腕時計とにらめっこしながら、昨日はこの位に来たから今夜は後もう何分か待てば来るだろう、等と思いつつ1時間も待った事があります。
一度は腹をたてて、2時間以上も歩いて家に帰りました。もっとも六本木から所沢迄深夜歩いて帰った経験が2回もあり歩くのは苦ではありませんでしたが。

その後公共交通機関をもっと使って貰おうという事で郡が予算を増やし、停留所も整備され時刻表も貼られるようになりました。通勤電車との接続も便利になったようです。(昔は電車が着く 2,3分前にバスが出てしまうようなダイヤでした)最近のニューヨーク・タイムスの記事に、経費節減 の為に地下鉄の本数を減らしたが、それ以上に頻度が減ったように感じるのは何故かという記事がありました。理由はバスと同じ。重なって来るのです。何本かまとめて行った後で、待っている人は以前よりも長時間待たなければならず、運行頻度が減ったと感じられるのです。内部的にはダイヤがきちっとあるのですが、交通局は駅に掲示しようとしません。もっとも最近は、この駅での発車時間を知りたければ、トークン売り場の窓口で予定表を貰えるとホームに書いてあります。しかし印刷されているのは最寄りの大きな駅の発車時間だけ。ダイヤ通り走らせる自信が無いのかしら、と考えたりします。(2016年 本数も間隔も改正されたようです。先程書いたように、LED表示板も付けられました)
暫く前からニュー・ヨーク市でもマグネティック・カードによる回数券が増え、特に地下鉄の利用者が増大しています。コスト削減で黒字になり、この金をどうするかという事でマスコミが騒ぎましたが、アンケートを取ったところ、殆どの利用者は値下げ。本数を増やせとか、線路、信号の改善等は無視されました。このつけは、その内にもっと高くつくものになって戻って来るでしょう。結果として、利益を直接利用者に還元するという意味で、割引制度がカードに導入されたのです。又、市のバスと地下鉄の乗り換えがカードで自由になり、利用者が又々増え、朝夕の混み方は一寸したものに戻りました。乗り残しも出る程ですが、一般的に乗り方がへたくそ。モラルが余り無いとも言えましょう。握り棒の配置が悪く、ドア付近はビッチリ内部は隙間だらけ、という車両が多いのです。
経費節減の為に行った一部の駅の出入り口封鎖の解除等、利用者への還元と同時にサービスの向上も行って貰いたいものです。
(2016年 一時、財源不足で実際に本数が減らされました。私に言わさせれば、そら見た事か、です。)


これは日本に、有る無い、という物ではありませんが、冬のニューヨークならではの光景もあります。それはマンホール。マンホールのどこが違うのか、と言う人は、冬のマンハッタンを知らない、或いは冬のマンハッタンの映画を見ていない人。札幌なども最近そうなっているようですが、マンハッタンの一部は昔から広域暖房になっています。コン・エディソン(東京でいえば東京電力)がイースト・リバー沿いに設置してあるある大きなボイラーで蒸気を供給しています。地下に埋めてある管で送っていますが、どこかで漏れでもあるのか、マンホールの隙間から蒸気が立ち昇ります。冬の雪の降りそうな暗い日、摩天楼の間のどんよりとした灰色の世界にゆったりと上がる蒸気。哀愁をそそる光景。ルイ・マル監督の映画にありましたね。
たまに管が破裂し、断熱材として使われているアスベストが大気に飛び散り、交通遮断や住民が避難したというニュースは日本にも伝わった事と思います。蒸気の管だけでなく、上水道の管もよく破裂します。それも太い本管。アメリカは日本よりずっと前に近代文化に突入しているのですから、インフラ・ストラクチャー(公共基本構造物とでも訳しておきますか)の建造が日本よりずっと早いわけで、壊れている本管には100年程のものが多いのです。これは日本に、有る無い、という物ではありませんが、冬のニューヨークならではの光景もあります。それはマンホール。マンホールのどこが違うのか、と言う人は、冬のマンハッタンを知らない、或いは冬のマンハッタンの映画を見ていない人。札幌なども最近そうなっているようですが、マンハッタンの一部は昔から広域暖房になっています。コン・エディソン(東京でいえば東京電力)がイースト・リバー沿いに設置してあるある大きなボイラーで蒸気を供給しています。地下に埋めてある管で送っていますが、どこかで漏れでもあるのか、マンホールの隙間から蒸気が立ち昇ります。冬の雪の降りそうな暗い日、摩天楼の間のどんよりとした灰色の世界にゆったりと上がる蒸気。哀愁をそそる光景。ルイ・マル監督の映画にありましたね。
たまに管が破裂し、断熱材として使われているアスベストが大気に飛び散り、交通遮断や住民が避難したというニュースは日本にも伝わった事と思います。蒸気の管だけでなく、上水道の管もよく破裂します。それも太い本管。アメリカは日本よりずっと前に近代文化に突入しているのですから、インフラ・ストラクチャー(公共基本構造物とでも訳しておきますか)の建造が日本よりずっと早いわけで、壊れている本管には100年程のものが多いのです。

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